2000年01月12日

さいごに

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

本当に幸せなことに、私は不適合を抱えたままではありますが3人の生児を得ることが出来ました。同じ病気で悩んでいる方の参考になればと思いHPを立ち上げる決心をしたのですが、多少時間がたっていることもありうろ覚えの箇所がたくさんあって申し訳ありません。医学の進歩とともに不適合でも生児を得る可能性は高くなって来ましたが、それでも怖い病気には違いありません。(事実、HPの構想を考えている途中で全く同じE型不適合で赤ちゃんを亡くした方と出会いました)

私自身は情報の少なさ故に子供を持つ決心もつかず、かといって諦める気にもなれず中途半端なままの時間を過ごしていました。妊娠&出産の場合、可能な期間は限られています。妊娠に挑戦するにしろ断念するにしろ、自分で判断出来るだけの情報が必要です。私の個人的な経験が少しでもお役に立てれば嬉しいのですが・・・。

健康な人でも妊娠のリスク(早流産や中毒症など)はあります。私のような不適合の人間は、その通常のリスクプラス不適合のリスクを負うことになるわけです。早流産(もしくは中絶)は次回妊娠のリスクを確実に高くするので、ますます危険になります。私のようにうまくいくケースばかりとも限りません。でも・・・協力してくれる家族と信頼できるDr.があれば、全く不可能ではないかもしれません。安易に妊娠を勧めることはできませんが、自分の気持ちに正直になることも時には必要ではないでしょうか?不適合の時も変形性股関節症を診断された時も、まわりに吐き出したおかげで病気と共存していく元気が出ました。(相談される方は大変ですね。ごめんなさい)ネットを始めたおかげで自分の抱えている悩みを気軽に打ち明けることができたのは大きな進歩でした。近くにいる友人に「実は・・・」と相談するのは勇気がいるけど、メールや掲示板なら言いやすいし同じ悩みを抱えた仲間も見つけられますよね。私がみなさんのおかげで救われたように、お返しが出来たら本当に嬉しいです。
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2000年01月11日

番外編 不適合妊娠のデータ

*サイトに置いていたデータをコピーしたものです*

ここではもう少し詳しい血液型不適合妊娠についてのデータを紹介したいと思います(参考図書 産婦人科MOOK No4 交換輸血の実際 金原出版 S53.12.10第1刷発行)

尚、金原出版編集部にはサイトへの記載が著作権に反しないことを確認、こちらで公開することに対し了承を頂いております。

*ご注意ください*

この本は私が探した数少ない不適合に関しての専門書です。発行年月日を見てお分かりのように、大変古いデータになります。20年以上前の物なので現在は医学の進歩によりここに出たパーセンテージよりも少なくなっているはずです。不適合に関しての新しいデータがあれば良いのですが、素人の私に入手出来る手段は限られています。不適合に関する本など、ご存知の方は教えて頂けると助かります。

この本は各医師が書いた論文を集めたものなので、データの数字にはばらつきが生じています。ひとりの医師が関わる不適合出産の数も多くはないので、数字の偏りもあることと思います。そのことはご了承頂きたいと思います。

医学的データを基に、不適合を抱えてしまった人や可能性のある人が知りたいと思われることを中心にまとめてみたいと思います。私自身がそうであったように、もう子供は望めないのか?どんな病気なのか?どこの医療機関なら診てもらえるのか?治療法はあるのか?などが主なものです。分かりやすいよう言葉や表現を変えて載せますので、多少のニュアンスの違いがあるかもしれません。中には非常に厳しいことが書いてある部分もあります。くり返しになりますが、このデータはあくまで20年以上前の物です。数字だけではなく、不適合の仕組みや流れを掴むための参考と捉えて下さい。今現在妊娠している場合だけでなく妊娠希望の場合、それなりの医療機関の医師に相談してください。可能なら、大学病院もしくは同等の病院、周産期センターのある所が理想でしょう。


血液型の種類  

Rh-Hr式血液型

英国式 米国式

D Rho

C rh'

E rh"

c hr'

e Hro hr"

d

通常言われるRhマイナスはDのことです。D以外のものを亜因子と呼びます。抗原として抗体を作る力が極めて強いので不適合の中のほとんどがDによるものです。


変異型

Rh-Hr2式 Du、Cw、Cx、Ewでもある(本来小文字は右肩に表示)

Rh-Hr式以外

・Diego式 抗Dia、抗Dib(本来a、bは右肩に表示)

・Duffy式 抗Fya、抗Fyb(本来a、bは右肩に表示)

・kidd式 Jkb(本来bは右肩に表示)

・MNSs式 抗S、抗M、抗Jra(本来aは右肩に表示)

日本ではこの他にもKell-Cellana因子やLewis因子での不適合の報告があるそうです


発生頻度

D>E>C>c>eの順で多く発生しますが、Dの抗体を作る力は極めて大きいので不適合のほとんどはDによるものです。

亜因子+変異型の不適合での割合が欧米5~10%、日本20%くらいなので、D=8:亜因子=2の割合くらいだと思われます。これだけを見ると亜因子の割合は少なく感じられないと思いますが、このD8割の数字は感作した人の数です。Dにはグロブリンを打つという対応策があり、これを打って(もしくは打てなくて)の感作率が0.1~0.2%ということですから、やはり亜因子による不適合は圧倒的に少ないということになります。

不適合による胎児の症状

罹患度*1 頻度*2

貧血型 3 3

黄疸型 2 1

水腫型 1 2

*1 罹患度 病気にかかること

*2 頻度 同じことがくり返し起こる度数


貧血型、黄疸型の大半は生存可能

水腫型の場合は大部分が子宮内胎児死亡か生産でも瀕死の状態で短期間で死亡(この記述について 20年以上前のものなので、今は水腫があって治療成績も向上していると思われます)

・水腫型が重篤になる理由

胎児にとって抗原抗体による溶血が早期かつ高度だと、少ない赤血球をフル回転させる為心不全から浮腫を起こしてしまいます


抗体価による成績

不適合による流死産歴なしの死亡率 抗体価64倍以下 8%

不適合による流死産歴なしの死亡率 抗体価64倍以上 29%

不適合による流死産歴ありの死亡率 抗体価64倍以下 36%

不適合による流死産歴ありの死亡率 抗体価64倍以上 78%

*64倍がひとつの目安のようですが、16倍、32倍でも死産した例もあります

Rh不適合の子宮内胎児死亡率は15% 大半は33w~40wにおこります


この数字も20年前のものですので、今はこれよりは少ない数字になります。

不必要に数字にとらわれないで頂きたいと思います。


不適合の治療

・比較的軽度な場合(満期産)

生まれてから光線治療(程度により台数、期間が変わります)*光線治療で交換輸血をのがれた場合、後日重症な貧血がおこる頻度が高い。 光線治療でダメな場合は交換輸血を必要回数行う(交換輸血による死亡率3~4%)


・重度な場合(胎内治療)

 子宮内での生活が継続可能な場合(子宮外での生活不可な場合)  胎内輸血(必要回数くり返す)腹壁から胎児のお腹に針を刺して輸血  合併症、感染、出血、臓器が傷付く、羊水漏出、早産、血清肝炎が主な危険、敗血症によるショック、子宮破裂、胎盤早期剥離の報告例もあり


・重度かつ胎内生存が危ない場合

 子宮外での生活可の場合、 もしくは高度貧血の為の心不全、胎児水腫、子宮内胎児死亡の危険が大きい場合 帝王切開の上胎外で治療 胎児を早期娩出し、必要に応じた回数交換輸血する


交換輸血の普及で新生児溶血性疾患の周産期死亡率が3~4%に減った


上記の治療で効果がない場合

死をのがれても核黄疸になる(核黄疸の後遺症=脳性小児麻痺)

脳性小児麻痺

1.アテトーセ ほぼ100%現れる(筋緊張低下、痙攣症状、運動失調症)

2.凝視麻痺

3.乳歯の琺瑯質形成異常 80%に現れる

4.聴力障害 50%に現れる


感作される時期

12w以前でも母体血中に胎児血球が認められた例もあるが、大半は28w以降。

初回分娩時の抗体検出率0.4~1.5%

産後6ヶ月以内の抗体産生5.2%

次回妊娠時の抗体産生11.5%

このことから、初回分娩によって16.7%が感作される。正常妊娠よりは異常妊娠(早剥、中毒症、骨盤位など)の方が、感作の可能性が高い。


正常妊娠の場合、胎児の血球移行量が0.1ml以下で感作。(これよりかなり少なくてもなるらしい。0.1ml以下って、目に見えるか否かの極微量ですね。)胎児の血球移行は、胎盤 臍帯の胎児血が胎盤剥離の部分、産道の裂傷から母体に流出することで起こる。従って、傷の大きくなる帝王切開はその危険が高い。



何度も繰り返しになりますが、上記の数字は20年以上前のデータです。不適合に対する治療自体に変わりはありませんが、データの数字の値はもっと低くなっていると思われます。必要以上に恐れず、かと言って安心し過ぎず、不適合によって何が起こるのか、どういう治療法があるのかを知った上で然るべき病院で相談されることをお勧めします。妊娠していない状態での相談も病院はきちんと受けてくれますし、そうでないような病院は選ばない方が安心です。どこの病院が不適合に対応出来るかのデータはありませんが、大学病院か同等の病院で周産期センターのある病院が適切だと思います。尚、個人サイトのため病院情報まではご紹介出来ません。もし病院情報が得られたとしても、医師によって治療も違うでしょうし、患者との相性もあるでしょう。良い病院が知りたいのは私も同じですが、やはりご自分で実際に探し、信頼出来る先生に赤ちゃんをお願いするのが一番良いことだと思います。私個人の体験としては周産期センターのある病院でしか出産出来なかったしそれで良かったと思っていますが、それがすべての方に当てはまるものではないと思っています。
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2000年01月10日

その後の経過

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

退院時に受けた注意は、様子に気をつけることだけ。その後1ヶ月検診まで、不適合に関する症状は出なかったものの他は大変でした。誰にでもある脂漏性湿疹が顔から頭までびっしり!近所のかかりつけ医に慌ててみてもらい、ほっとしたのもつかの間。今度は首から体にかけて真っ赤になっていまいました。入院中の汗疹に似ていたのでてっきりそうだと思って受診したら、何と黄色ぶとう球菌による熱傷様皮膚炎(SSSS)。ネットで検索すると基本は入院治療で火傷のように皮膚がめくれる病気だそうで・・・。かかりつけ医には入院施設がないおかげ(?)で自宅治療で済みましたが、そんなにうちは汚いのか赤ちゃんが弱いのか・・・ちょっと悩みました。SSSSが治っても湿疹は良くならず、生後0ヶ月にしてアトピーの診断。2人目のアトピーがひどかったこともあり落ち込むこと暫く・・・。私がアレルギー体質なので仕方ないけどね。

そして、いよいよ1ヶ月検診の日。体重も順調に増え、見た目は元気な赤ちゃん。なのに・・・検査でひっかかってしまいました。不適合のせいで「ひどい貧血」でした。治療しないといけないレベルで鉄剤を飲むことと通院が指示されたのでした。ただ、難しい治療はなく鉄剤だけなら地元でも出してもらえるので上ふたりを生んだ総合病院の小児科に紹介状を書いてもらいました。

地元総合病院への通院は2週に1度。これは投薬が2週間分しかできないため。貧血についてはかなり長期にわたる投薬で、良くなって一旦やめるとすぐに数値が悪くなり再投薬。結局1才くらいまで鉄剤を飲んでいました。今回は聴力検査はなかったけど、不適合の治療のせいで胆石が出来る可能性があるとかで1才の時にエコーをかけました。幸いなことに胆石はありませんでした。

不適合に関する検診が終わったのは1才4ヶ月の時でした。
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2000年01月09日

入院中の経過

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

日付けが変わってから生まれた赤ちゃん、看護婦さんからは「元気だったら明日にでも同室になるかもよ。」と嬉しいけど意外な言葉。まるで普通の産婦さんと同じ対応だったけど、不適合なんだから少し考えて欲しいなぁ・・・。期待してしまうもの。朝方病室(入院した時の仮の病室)に戻り、午前中に自分の病室(6人部屋)に入りました。恐れていたことが赤ちゃんに起こるのに、そう時間はかかりませんでした。「黄疸が出たから。」光線治療と感染の可能性もあるので点滴、NICUでの治療が始まったのです。

前回出産した総合病院にはNICUがなく、新生児室で囲いをされての治療でした。面会規定もしっかりしておらず、看護婦さんによって言うことが違う状態。ガラス越し面会のために看護婦さんを呼びつけるのもためらわれるし、自分の退院後に授乳のため面会に行っても、授乳が終わったら帰らなくてはいけません。某病院ではNICUの面会は3~4時両親のみでしたが、1時間しっかり会える上状態が良ければおむつ交換&授乳&だっこも可能、担当看護婦さんや担当医からその日一日の詳しい治療や様子を聞くことが出来ました。

出産当日も当然面会可能でした。看護婦さんにそう教えてもらったけど・・・怖くて面会に行くことが出来ません。治療について聞けたりだっこ出来ることを知らなかったので、前の病院のように見るだけだったら・・・そう思うと辛くて行く勇気がありませんでした。そのくせ、面会時間中赤ちゃんのことを考えてベッドで泣いていました。(産後鬱も入っていたのか!?)

翌日の面会(産後1日)は思いきってNICUへ面会に行くことに・・・。NICUでは感染予防のため徹底した衛生管理になっています。入り口からはNICU専用のスリッパに履き替え白衣&帽子を着用、そのあと消毒液で手洗いとうがい。(手洗いは腕まで)いよいよNICU、超未熟児の赤ちゃんをガラス越しに見ながら奥へ奥へ・・・私の赤ちゃんは一番奥の部屋で治療を受けていました。コット(赤ちゃんのベッド)におむつだけの姿のまま光線治療器が3台、点滴もしている・・・。担当の新生児科のS先生からの話しでは、かなり黄疸が強いので光線治療器を3台使用しているとのこと。(E不適合の特徴は、他の不適合に比べて黄疸が強いことだそうです)ミルクを大量に飲ませ沢山光線を当てて早く黄疸がひくようにしているが、このまま黄疸が良くならない場合は交換輸血をするという話しでした。

入院中もう一度家族3人の血液検査があり、仕事の忙しい主人に無理矢理来てもらい採血。

*結果*
胎児血 D:+ C:3+ E:4+ c:3+ e:4+
母 D:4+ C:3+ E:- c:- e:4+
父 D:4+ C:- E:4+ c:4+ e:-

赤ちゃんの退院までだっこ出来ないと思っていた私には、先生から丁寧な説明を受け赤ちゃんを面会時間中抱けたことは本当に嬉しいことでした。ただ、母乳については黄疸が悪化する可能性もあるので禁止されました。(涙)点滴は3日くらい、光線治療は7~8日(最後の方は台数が減っていった)。2人目の子も同じ光線治療を受けていましたが、今回はもっと大変なようでした。2人目は1台の機械を7日当てましたが今回は3台を約7日、単純に3倍の量です。大量の光線で体温が異常に上昇するため、氷枕をお腹に当てながらの光線治療・・・。最後の方には、おむつかぶれや汗疹も出来てしまい可哀想でした。(湿疹と比べられる病状ではありませんが)それでも面会の時間だけが入院中の楽しみだった気がします。

今回も退院は私ひとり。赤ちゃんはNICUに入院したまま・・・。自分の生んだ赤ちゃんと離ればなれになるのは辛かったですね。(ちょっとオーバーですが距離があったので)仕事を休めない主人に代わり迎えに来てくれた主人の両親と2人目の子に赤ちゃんの顔を見てもらえたのが救いでしょうか?(ガラス越し面会で光線治療のため、おめめも保護したままでしたが(^^;)

私の退院時の赤ちゃんの様子(光線治療器の台数が減っていた)から赤ちゃんの退院も遠くないようでした。それでもやはり赤ちゃんを病院に預けっぱなし・・・ということは出来そうにありません。「体を休めた方が・・・。」というアドバイスももらったけど、赤ちゃんに会いたい気持ちの方が勝り上二人をおばあちゃんたちに頼み、毎日電車で面会に通わせてもらうことにしたのです。みんなは私の体を心配してくれたけど・・・赤ちゃんに会えると思うと何も苦にならなかったから不思議。たった1時間の面会のために往復2時間以上かけての通院。面会に行きお乳をあげておむつを替えて、あとは面会時間ぎりぎりまでだっこ。当然寝顔ばかり見ていることにるけど、それでも満足でした。「明日もまた来るからね♪」それが私と赤ちゃんとのお約束。

治療のかいあって赤ちゃんの黄疸も少しずつひき、やっと退院の日を迎えることが出来ました。全部で10日間の治療、これは2人目と同じ日数でしたが内容は大違い。光線治療器の数から考えて、3倍ひどかったことになります。「不適合は妊娠回数に比例して症状が出る」は本当でした。

退院の日、主人とふたりで赤ちゃんを迎えに行きました。NICUからの退院は赤ちゃんのみなので荷物もほとんどないし、とても静かな退院でした。翌月の1ヶ月検診までは通院の必要はなかったので安心して帰宅しました。

今回赤ちゃんの入院にかかった費用は3割負担で10万円前後と記憶しています。私の住む市では5才の誕生月まで乳幼児の医療負担があるのですが(平成13年度より)県外の病院の場合、窓口で一時負担しなくてはいけません。(後日申請すると返ってはきますが・・・一時負担でもかなり辛いですよね?私だけかしら?)逆に言えば県内ならお金の心配(医療費のみですが)はいらないことになります。他にも、県内だと使える妊婦検診の無料になる用紙も県外では使えません。ハイリスクで県外で通院&出産される方はそういうことも調べておいた方がよいと思います。(我が市でも平成15年現在、無料妊婦検診の紙が他府県でも使えるようになったそうです。但し乳幼児医療者証は県外では使えません。一時負担の後申請して返還されます)
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2000年01月08日

ママの気持ち2

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

3人目の妊娠前、「どんな結果が出ても後悔しない」と決心して妊娠を決めたはずだった。自分の気持ちに嘘をつきたくなかったのと、後々の人生で後悔したくなかったから。でも・・・それは私の自分勝手な思い込みだった。幸運なことに流産も胎内での異常もなく生むことが出来たけど・・・ほんの僅かな治療期間の間、どんなに辛かったことか・・・。「たとえ無事生まれることがなくても後悔しない。」なんて、私の傲慢さのあらわれでしかなかった。親だもん、後悔しないわけないよね。でも、世の中にはそういう覚悟がなければお母さんになれない人もいるの。

この世には自分には分からない悲しみや苦しみがいっぱいある。好きな人と一緒になれない気持ち、子供を授かることの出来ない人の気持ち、愛する人を失った気持ち・・・きっと私には理解出来ていないことだろう。でもね、分かろうとする気持ちは忘れたくない。あなたの苦しみは分かってあげられないけど、でも分かりたいよ。私のことも、まわりの人には分からないのだろう。でも・・・みんな分かろうとしてくれている、助けてくれる・・・とっても嬉しい。人と同じ立場には立てないけど、私もみんなのことを分かるようになりたいと思う。みんながお互いの気持ちを知る努力が出来れば、この世から争いなんてなくなるのにね。・・・なんか話しが脱線しちゃいましたね。(笑)

そう、何があっても後悔しないつもりだったけど・・・小さい身体で治療を受けている姿を見るのは辛かった。3方向から光線治療器を当てて、まるで日焼けサロン状態。(^^;目の保護のために目隠しははずせない、面会に行ってもそのまま。これ以上黄疸をひどくしないため母乳も禁止・・・。面会時間は1時間、ミルクをあげておむつかえてあとの50分ほどはずっとだっこ。お顔はみえないけど、くちもとだけ見てもお兄ちゃんお姉ちゃんにそっくり。(笑)「よく頑張っているね。いいこね。」ずっと小さい声で話し掛ける。どうしてだろう、あなたといるととても落ち着くの。この1時間のために残り23時間を生きている気がする。「また明日会いにくるからね。」お別れの時の赤ちゃんとの大事な大事な約束。

毎日毎日続く治療、暑さのため汗疹とおむつかぶれになってしまったね。(光線治療器3台だから当然)可哀想なんて言っていられない、早く良くなって!あなたに会えるのは嬉しいけど、面会の度に涙が出て困ってしまう。なんせNICU、物の持ち込みは御法度なのでこっそりティッシュ持っていくんだから。(^^;

私の退院が近付く頃、やっと光線治療器の数が減ってきた。あともう少し!でも、結局ひとりっきりの退院。仕事が忙しくて休めない主人の代わりに主人の両親と下の子が来てくれた。主人に来て欲しい気持ちはあったけど、赤ちゃんの退院の日に一緒に迎えに来たいから今日は我慢。ガラス越しではあったけど、みんなに赤ちゃんの顔を見てもらえた。でも、やっぱりおめめは隠したままだったけどね。(苦笑)赤ちゃんを置いて40キロ離れた自宅へ帰るのは寂しかった。でも、必ず面会に来るから待っていて!きっともうすぐ一緒におうちに帰れるよ。

お昼に退院したので、帰りにみんなで鰻屋さんに寄った。おじいちゃんお勧めの美味しい鰻屋さん。赤ちゃんを生んだら外食なんて出来ないんだからラッキー!そう思おうとしたけど・・・難しいね。とても美味しかったのに何故か寂しい食事でした。

退院翌日から面会に通うことを決めた私。主人と私の母はふたりとも止めたかったことでしょう。いくら経産婦と言っても昨日まで入院していた身ですもの。上の子たちもいるし、少しでも身体を休めるチャンスだし、そんなに心配しなくても赤ちゃんの退院も近いようだから。でも、私はそうは考えなかった。どうせ退院も近いんだから、少ない日数なら面会に通おう!(交通費を考えても通うのは大変なことでした)上ふたりの世話を母に頼み面会に通うことに・・・。

電車で片道1時間、本当は大変だったはずなんだけど駅にたつ私の心はうきうきしていた。だって、今日も赤ちゃんに会えるんだもん。母乳の許可が出たのもこのころだったかしら?初めて飲んでくれたお乳は30cc、毎日8回搾乳していっぱい出るようにしていたのに少ししか飲めなかったね。それでもとても嬉しかったよ。

生まれてから10日後、やっと赤ちゃんの退院。2人目を生んだ時からずっと待っていた3人目の赤ちゃんが私のところにきてくれた。あの日から4年目の春でした。
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2000年01月06日

その後の経過と3人目妊娠を決意するまで

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

2人目の退院後、暫くは2週に1度の通院が続きました。黄疸が激しくならないかと心配されていたようです。4ヶ月頃、聴力が心配ということで眠らせて検査をしました。(異常なし)1~2ヶ月に1回の採血でしたが、数カ月たっても私の抗体が検出されたのには驚きました。最後の検診は1才3ヶ月、ちょっと遅いあんよが出来たところで発達に異常なしと検診を終了しました。

3人目を望んでいたものの不適合が分かったことで、諦めなければいけない状況になっていまいました。元気な子が2人もいるのだからそれだけで幸せ・・・なはずなのに、何故か毎日泣けてしまう。2人目が生まれて4ヶ月程は毎日泣いてばかりでした。

3人目を望みつつも決心出来なかったのは、やはりもしもの時には赤ちゃんが犠牲になってしまうことでした。2人の子供に恵まれていて、これ以上望むのは単に私の我が儘でしかなかったから・・・。遠い病院に通院すること(その当時幼児2人が家にいたので特に)、たくさんのお金がかかることも躊躇した原因でした。かと言って、赤ちゃんを諦め切れないジレンマ・・・出口のない迷路。そこから一歩歩み出す決心をしたのは、2人目を生んでから2年後のことでした。

「本当に赤ちゃんが欲しいなら出来るだけの努力をしてみよう。」最初に始めたのは病院探しでした。遠く離れた病院でなくても、案外近くで受け入れてくれる病院があるかもしれない・・・。隣の市にある県立病院、この辺りではここが一番大きくNICUもあり交換輸血の実績もあり。友人の妹さんが勤めていたので聞いてもらったのですが、NG。感作されていなければ受け入れ可能とのこと。(感作されていない=Rhマイナスで不適合を起こしていない状態)

たまたま出会った他の県立病院の産婦人科の女医さんに問い合わせたところ、県内の施設では大学病院くらいしかないそうで、あとは紹介された病院しかないとのことでした。県庁所在地にあるその大学病院と隣の県の大きな病院(紹介された病院)、交通機関の関係から考えて隣の県の病院の方が通いやすいので、そちらに相談することにしました。(その大学病院ははじめて妊娠した時に股関節脱臼があるから紹介すると言われた大学病院、のちに変形性股関節症でおつきあいすることになる大学病院)

すでに妊娠していたら受診したのですが、相談だけで大病院に行くのがためらわれ失礼は承知で手紙を出すことにしました。今までの経過と妊娠を望んでいることを書き投函、返事が来ないのは覚悟の上。返事が来なければすべてを諦めるつもりでした。そんな気迫が伝わったのでしょうか?(笑)産婦人科外来の受け付けの方から電話が来たのは数日後でした。「本来ならああいう問い合わせにはお答えしないのですが・・・。」という前置きの後、I先生が「僕が引き受ける。」と仰って下さったと教えて下さいました。善は急げ(笑)と、翌週電車を乗り継いで某病院に向かいました。

I先生のお話は淡々としていました。今まで押さえていた自分の感情(3人目を望んでいること)から涙が止まらない私、核黄疸の危険、難聴になるかもしれないなど前の病院で言われたことを気にしている私に「すべての原因は胎児が貧血になることだけ。そうなったら治療をすればいい。」と言われたのです。それはそうだけど・・・マイナス思考に片寄っていた私には拍子向け。(苦笑)その日は採血をし、2週間後に結果を聞きに行くことになりました。

2週間後、結果は当然ながらRh-E不適合。抗体価は256倍。「それって高いんでしょうか?」(抗体価が高いほど重症例なので)との私の問いには「けっこう高いねぇ。でも、高いからといって(症状が)必ず出るものでもない。」との答え。「僕が引き受けるから、今度は妊娠したらいらっしゃい。」もうひとつ、前々から気になっていた質問を。「輸血は気をつけないといけないのでしょうか?」これに対しては血液型の証明書(Rh-Eについての記載のもの)を出すから、輸血の際には必ず出すようにと言われました。

やっと1歩を踏み出せたことと、先生が「引き受ける」と言ってくれたことでとてもすっきりとした気分になれました。あとは赤ちゃんが来るのを待つだけ・・・。(笑)
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2000年01月05日

ママの気持ち1

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

赤ちゃんが生まれたら、一緒にいられるのが当然のことのように思っていました。生まれたばかりの可愛い赤ちゃん、おっぱいを飲ませることはもちろん、胎便のついたおむつ交換さえも楽しみでした。やんちゃな上の子はおばあちゃんに預けてあるし、入院中は赤ちゃんとふたりっきりの楽しい日々のはずだったのに・・・。

ひとりぼっちの入院はとても寂しいものでした。同じ病棟のお母さんのところには可愛い赤ちゃんがいて、世話や授乳で一日中忙しそう。でも・・・私はひとりっきりで産褥体操をやったりするだけ。お乳が張るようになってからは3時間おきの搾乳を必ずした。冷凍庫にお乳を入れておけば、看護婦さんが治療中の赤ちゃんに飲ませてくれるから。すぐにお乳は出ないから、一番はじめは5cc次は10cc・・・少しずつ多く搾乳した。いつ赤ちゃんが戻ってきてもいいように。授乳室では他の赤ちゃんがお母さんのお乳に吸いついていて、とても羨ましかった。たまに手の空いていないお母さんの赤ちゃんを抱かせてもらったけど、とても温かくて可愛い。

黄疸の原因が特定出来ないことと治療が終わらないことで、産後の私はかなりナーバスになっていたみたい。でも、自分の気持ちが出せない性格なのでいつもこっそりトイレで泣いていた。毎日面会に来てくれる主人の母と上の子に赤ちゃんを見せてあげられないことも辛かった。おじいちゃんおばあちゃんたちに早く赤ちゃんを抱いて欲しかったから。主人の父が大きな薔薇の花束を持って面会に来てくれた時は泣いてしまった・・・みんな、ごめんねって。

NICUのない病院で、治療中の新生児に対する面会規定はありませんでした。健康な新生児(生後1~2日の母子同室になっていない赤ちゃんのみ)は、一日2回の決められた時間だけガラス越し面会が出来ます。新生児室の窓は廊下に面しているので、そこを通る人は誰でも赤ちゃんが見られます。私が寂しそうな顔をしていたのかしら・・・お産を担当してくれた看護婦さんが「詰所で言ってくれればカーテンを開けるから。面会時間になったら赤ちゃんに会ってあげて。きっと喜ぶよ。」と言ってくれました。(治療中の赤ちゃんは面会時間中もカーテンと仕切りに隠され見えなかったのです。光線治療の青い光を見て赤ちゃんを感じていました)面会時間になったので偶然来ていた主人の母と上の子と詰所に行ってカーテンを開けてと頼んだら・・・「治療中はお母さん以外の人には見せられない。」さきほどとは別の看護婦さんに断られてしまいました。やっと家族に赤ちゃんの顔を見せてあげられると思ったのに・・・母に申し訳ない気持ちで涙があふれました。

これは面会規定がないことで看護婦さんによって対応が違うことが原因でした。誰が悪いと言うことではないけれど・・・とてもショックを受けたことは間違いありません。面会と言っても廊下から突っ立って赤ちゃんを見ているだけ・・・そう何分もそうしていられるものではありません。それだけのために忙しい看護婦さんに声をかけることも申し訳なかったし・・・。でも、ほとんどの看護婦さんたちはとても親身になってくれ、私もとても助けられました。面会時間でないときにたまたま新生児室を通りかかった私に気付いた婦長さん、内緒で(?)カーテンを開けてくれ、暫く赤ちゃんの顔を見せてくださいました。思ってもみなかったプレゼントがどれほど嬉しかったことか。上の子を取り上げてくれた助産婦さん、他の人が赤ちゃんの様子についてはっきりと説明してくれなくて、落ち込んだまま病室に戻る私に優しく声をかけてくれた。「辛いよね。でも、大丈夫だから!ずっと赤ちゃんが帰ってこないのに、おさかなさんは良く頑張っているよ。」って。看護婦さんたちにとってはお仕事なんだろうけど、人の思い遣りや優しさをこれほど感じたことはなかったと思う。ちょっと無神経な看護婦さんもいてカチンときたこともあったけど、本当に素敵な看護婦さんたちに会えたことは幸せでした。

結局赤ちゃんとは一緒に退院出来なくって、私ひとりでの退院。心に大きな穴がぽっかり開いたって感じ。自分の赤ちゃんの顔も声も覚えられないままの退院・・・自分が情けなかった。赤ちゃんがいない不安とストレスを出せないことで、上の子や家族にきつくなっていたと思います。(この場を借りてゴメンナサイ。もう遅いって?(笑))3時間おきの搾乳は欠かさず、1日に1回冷凍乳を病院に運びました。運ぶついでに授乳を理由に面会しましたが、これもまた辛いことばかり・・・。検査で常在菌(誰にでもついている菌)が見つかったとかで赤ちゃんは隔離されているし、面会も手術で着るような服を被うエプロンを着ないと許されない。(後ろで紐を結ぶタイプのエプロンでしたが授乳するには前を開ける必要があり、後ろ前に着ました(笑))当然入室前後は消毒するし、赤ちゃんの着た衣類はMRSAと書かれたバケツに入れてありました。(MRSAではなかったけど、他の赤ちゃんとは別にという意味)正直、あまり良い気はしなかったです。(でも、病院としてはしっかりしているので安心と言えますよ)お乳をあげながら周りを見ると、そこには未使用の注射器がたくさん並んでいました。毎日毎日、何回も採血しているから・・・仕方ないとはいえ、見るのは辛かったです。授乳が終われば(ものの5~10分)もうお別れ。時間制減はなかったけど、用もないのにいるわけにもいかないので・・・。私が面会していれば、看護婦さんも詰所にいないといけませんし、そこまで無理は言えませんでした。

結局、赤ちゃんは10日後に退院出来ました。私にとっては長い長い10日間でした。赤ちゃんもひとりっきりで良く頑張ってくれたと思います。
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2000年01月04日

ふたりめの妊娠と出産

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

平成7年夏、二人目の妊娠に気付き、前回同様地元のG社会保険病院病院での出産を選びました。上の子を連れての通院は大変でしたが、この時も経過は順調。2回目ということもあって分娩時間は2時間。お産を終えて病室に戻った頃には「よ~し、もうひとり生むぞ!」と決意していました。(笑)生まれた子は偶然にもひとり目と全く同じ体重!(1gも違いませんでした)元気そうで可愛い(?)赤ちゃんでした。母子同室の病院だったので、経過さえ良ければすぐに同室になります。初産だと2日後くらいなのですが、私は2回目でしたので翌日から同室になるということでした。早く赤ちゃんを抱いてお乳をあげたい・・・早く明日になるといいのに・・・。

赤ちゃんが私のところに戻る前に異変は起こりました。小児科のDr.がそっと私のベッドに来て、「赤ちゃんの黄疸がひどいから今日は来れない。ちょっと治療しましょう。」と言いました。上の子も光線治療を受けているし、すぐに戻ってくるだろうとその時は楽観していたのです。けれど何日たっても赤ちゃんは治療中のまま。私に出来ることは母乳を絞って冷蔵庫に置くことくらい。「理由は分からない。」「明日には戻れるかも。」何回もそんな言葉を聞きました。Dr.も消去法で原因を探していたのでしょう。ある時臨床検査技師の方が私のところにみえました。「今まで輸血したことありませんか?」あるある!今まで何回も手術していますからね。この時点で不適合らしいという診断はされていたようです。(輸血が原因ではなかったようですが)

結局赤ちゃんの治療は私の退院後も続けられ、毎日8回分の母乳を搾乳&冷凍し病院に通いました。ある日Dr.から呼ばれ、「多分不適合だと思う。3人目を望んでいるのなら夫婦共に血液検査を受けて欲しい。」と言われました。幸いなことに、その頃赤ちゃんは無事退院。(検診をさぼらないよう釘を刺されましたが)翌週血液検査を兼ねて夫婦で診察を受けましたが、それはものものしい雰囲気・・・。一体何を宣告されるのか・・・ドキドキ。血液検査は外注なので結果は2週間後に出るが、不適合らしいということ。3人目を生むならここではみられないので40キロ離れたN日赤病院を紹介するとのことでした。「3人目は諦めた方がいいということですか?」と聞くと肯定されました。(Dr.に強制権はありません。あくまでもプロの意見としてお聞きしました。)

2週間後の血液検査の結果、Rh-Eによる不適合と診断されました。主人がccDEE、私がCCDee、赤ちゃんがCcDEe(だったと思う)。多分次回妊娠時も同じ事態が予想されるということでした。希望していた3人目・・・諦めるしかありません。二人の子がいて40キロの通院は不可能です。経済的にもかなり辛いことは予想出来ます。それよりも赤ちゃんが後遺症なく元気に育つよう努力しなければ・・・。

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2000年01月03日

はじめての妊娠と出産

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私が初めて妊娠に気付いたのは平成4年秋、すぐに開業産婦人科に行き確認をしました。医師に言われたのは子供の頃に患った「両股関節脱臼があるのでうちでは診られない。」というあまりにそっけない言葉・・・。まずはかかりつけの整形外科医に相談することと、地元大学病院(30キロ離れた所)での出産を宣言されました。

私には股関節脱臼という持病があったのでお産の時に問題が起きるかもしれないという話しでした。すぐに整形外科医に相談、「帝王切開になる可能性は高い。」とは言われましたがそれほど危険という感じでもなく、結局地元のG社会保険病院にかかることにしました。(子供の頃から「将来は帝王切開でしか生めない」と聞いていたのでショックはありませんでした。)大学病院への通院は時間や費用の点から考えてもその当時は無理でした。後に別の病気でその大学病院 と一生のおつき合いになるとは・・・結局縁があったのでしょうか?(笑)

妊娠中は体重がかなりオーバーしたことを除けば順調でアレルギーの諸症状には悩まされちょっと鬱な時期もありましたが、病弱なわりには大丈夫でした。股関節脱臼については一言も聞かれないまま出産当日に。(苦笑)お産自体については特に書くことはなく、極めてスムーズで家族には「犬の子を生むように・・・。」と言われてしまう程でした。(犬だってお産は痛いと思うけど(^^;)ちびの私(身長150ちょっとしかありません)から生まれたにしては大きい子で、私に似ずとても元気な子のようでした。入院中困ったことと言えば、慣れない育児で寝不足&母乳不足なことくらい。とても元気な子でしたが、入院中一度だけ「黄疸が出た」とかで光線治療をしました。これは不適合のせいだったのかもしれませんが、その時は医師も私も何も知らずにいました。退院は通常通り1週間後、「黄疸が強いけど、母乳のせいだと思うから。」とのことでした。

ひと月後の一ヶ月検診、体重も増えてまるまるとした赤ちゃんに・・・。医師からは「黄疸が強いけど標準以内だから大丈夫。」という言葉がありました。(後に知ることになりますが、この時のカルテには「疑高ビリルビン血症」と記載されていたのです。ま、ここで診断されていても打つ手はなかったし、知ってしまったら2人目は諦めていたことでしょう。)

そして2年後、やんちゃ坊主が少し大きくなってきたので「そろそろ二人目を・・・。」と考えはじめます。
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2000年01月02日

血液型不適合妊娠とは

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血液型不適合という言葉をご存知でしょうか?人間の体は異物を排除するように出来ています。この働きが裏目に出てしまったのが不適合です。

不適合妊娠のおこる仕組みを簡単に説明しましょう。血液型の違う血を輸血されて危篤に陥ったり、悲しい結果になってしまったというニュースをたまに聞きます。人間は自分と違う型の血を受け入れることが出来ません。(これは絶対ではありませんが)妊娠した場合、胎児の血液型は必ずしも母体と一致するとはいえません。それでも妊娠が継続出来るのは、母体と胎児には血の行き来がないからなのです。栄養や老廃物は胎盤を通して血管中で行うので、実際に血が行き交うことはありません。しかし、出産(流産や中絶も含む)時に母体に出来た傷などから胎児の血が母体に入ります。(何らかの原因で中期以降に感作されてしまう例もあり、そうなると産後72時間以内に打つ注射は効果ありません。あくまで「感作されてから72時間以内」なのです。その為には頻繁な血液検査で抗体値を調べなくてはいけません。)ほとんどの人はそれでも大丈夫なのですが、私を含む一部の人は胎児の血液に対する抗体を作ってしまうのです。抗体を作ると同じ異物(花粉や病原菌、胎児も)が再び侵入してきた時には激しい攻撃をします。(これは人間の体を守る免疫の働きで、これが行われないと大変なことになります。)この攻撃、花粉症で言うなら「花粉を流すためにくしゃみや鼻水を出す」ことになりますが、胎児に対する場合は胎児の赤血球を攻撃し、貧血や浮腫を起こします。(うちの子の場合 高ビリルビン血症、溶血性貧血)早期なら流産、中期以降には早産、満期産の場合も出生直後から激しい黄疸が出現します。治療としては、胎児輸血・光線治療・交換輸血などがあります。光線治療の発見のおかげで治療成績は良くなったそうですが、交換輸血への切り替え時期を誤ると核黄疸(脳がやられてしまいます)や死亡してしまう危険もあるようです。(正常妊娠と同じく、満期産の方が未熟児よりも治療成績や予後は良いです。ただ、未熟児で生まれるリスクより胎内での貧血&浮腫の方が危険だと帝王切開で出産になります。時期の判断によって予後の成績が変わるので、時期を見誤ることは許されません。)憶測ではありますが、医療の整っていなかった時代には不適合で亡くなった赤ちゃんは多かったことでしょう。

もうひとつ重要なことですが、不適合は妊娠回数(流産、中絶を含む)と共に症状が進みます。最初に胎児の血が母体に入った時に抗体が出来ることは先にお話しましたが、最初の子にはほとんど症状は出ません。これは抗体が出来て胎児を攻撃するまでに時間が少ないことにあります。猛攻撃する前に胎児は産道を通って生まれてしまうのです。しかし、次回以降の妊娠は妊娠時から抗体があるので、胎児への攻撃は妊娠初期から継続的に行われます。私の不適合(Rh-E)の場合、出産まではもつことが多いらしいのですが、それも保証はありません。

不適合になる可能性の高いケースは胎児の母親がRHマイナス、父親がプラスの場合です。(これについては血液型の組み合わせによって感作の率は変わりますが、難しくなるので省きます)ただ、通常言われるRhマイナスの人は血液検査で分かるので不適合にならないような対策がとられます。(産後72時間以内に打つ注射があります。この処置は流産や中絶の場合も必要になります。)

一般に言うRhマイナスは正確にはRhのDという型のことです。Rhには他にも型があり、不適合の危険は同じようにありますが通常の検査項目にはありません。これは頻度の問題と、余程大きな病院でない限り外注でないと検査出来ないことがあると思います。(当然お金もかかりますからね・・・(苦笑))亜種(Rh-D以外 CやE)の場合、異常が見つかってからしか分からず防止策もありません。私の場合はRh-Eの不適合で、主人がEプラス私はEマイナス(eと言います)でした。(正確には主人がccDEE、私はCCDeeです)

胎児の両親の血液型が違うことで不適合が起きるので、CDEそれぞれにその危険はあり複数の不適合(例えばCとD両方の不適合)を抱えたり、ABOの不適合というものも存在します。ただ、ABOの不適合はRhの不適合ほど重症ではないと言われています。

不適合で症状が出るのは胎児や赤ちゃんだけで、母体には何の影響もなく産後は通院や検診の必要はありません。妊娠以外で気をつけなくてはいけないのはただひとつ輸血のみです。万一緊急オペなどで輸血で抗体のある血を入れられた場合、アナキラフィシーショックで死亡する可能性があります。これを防ぐには、家族や知人に不適合を知ってもらい輸血時には気をつけなければいけないことをしっかり説明することです。そして、病院で血液型の証明書(当然普通のものではなく、抗体のあるものに対しての物)を出してもらい常に携帯しましょう。証明書についてですが、3人目を生んだ病院に相談した時には何も言わなくてもくれましたが、地元の総合病院では輸血への注意も証明書ももらえませんでした。あまりに珍しい(その病院・・・地元では結構大きい部類なんですが初めての症例だったそうです)病気で対応が分かっていなかったのだと思います。

妊娠における不適合についてお話してきましたが、あとひとつ原因が考えられます。妊娠以前に行われた輸血でも抗体が出来る恐れがあります。(配偶者からの輸血は一番危険です)この場合、輸血時に抗体が出来るので、初回妊娠時から胎児に症状が出ます。(今は緊急時以外自己血が主流、私は手術を予定していますが当然自己血です。)自己血が足りない場合は日赤の血液を使いますが、日赤の血でもなる人は不適合になります。どんな人が不適合になるのかは分かりません。輸血も妊娠も大多数の人は大丈夫、結局はそういう運命(?)としか言い様がないように思います。Rh-Dの場合、最初から不適合になることを前提で抗体を作らないようにする注射を打ちますがDの場合も必ずしもみんなが抗体を作るわけではないそうです。それでも全妊婦にRhマイナスの血液検査、マイナスの人に注射を打つのはそれだけ不適合が起こす胎児や赤ちゃんへの影響が恐ろしいということに他ならないと私は思っています。

*2005.3.26追記
2004年12月に某大学病院で全身麻酔下での手術をしました。良い機会なので輸血について執刀医に聞いてみました。予定手術など普通の場合は不規則抗体を調べるので不適合輸血されることはほとんどないそうです。但し、超緊急の場合はABOとRh-Dくらいしか調べられないこともあり、そういう場合は不適合輸血もあるかもしれないそうです。1分1秒を争う場合・・・でしょうね。

2012.3.17追記
最近では田舎の個人病院でも不規則抗体の検査が行われるようです。心配がある方は血液検査の際に「不規則抗体の検査も含まれますか?」と確認をされては如何でしょう?

最近ある掲示板でRh-の方同士での相談を見て心配になることがありました。不適合への対策をしない担当医の態度を心配されている方へ経験者からのアドバイスだったのですが、「産後に打つ注射はどんな産院でもできるから大丈夫(これは間違いではない)。私も大丈夫だったし、何も心配いりませんよ。」というものでした。確かにRh(D)-の方のほとんどは大丈夫でしょう。でも・・・少数ですが妊娠中に感作されてしまう人がいるのです。接種を受けていても感作される人もいます。その方たちはその妊娠も、これから先の妊娠も生児が抱ける可能性が薄くなるのです。近所の産院でも産後の注射は打てるでしょう。でも・・・万一のことを考えて、Rh-の妊婦さんには不適合を得意とする医師にかかって欲しいと思います。そして、出来ることならRh-の妊娠前の女性にはきちんとした不適合の知識を持ってもらいたいと思います。(本当は全女性にですが・・・私の例もありますので)

*産後に打つ注射について・・・72時間以内ではなく48時間としている病院もあるようです。基本的には早い方が良いと思われます。妊娠中にも打つ病院もあり、これは不適合になるリスクを下げる目的で使われます。効果を疑問視する声もあり、担当医の考え方と患者の希望によって行われているようです。
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