2000年01月08日

ママの気持ち2

*さかなのひとりごとに置いていたデータをコピーしたものです*

3人目の妊娠前、「どんな結果が出ても後悔しない」と決心して妊娠を決めたはずだった。自分の気持ちに嘘をつきたくなかったのと、後々の人生で後悔したくなかったから。でも・・・それは私の自分勝手な思い込みだった。幸運なことに流産も胎内での異常もなく生むことが出来たけど・・・ほんの僅かな治療期間の間、どんなに辛かったことか・・・。「たとえ無事生まれることがなくても後悔しない。」なんて、私の傲慢さのあらわれでしかなかった。親だもん、後悔しないわけないよね。でも、世の中にはそういう覚悟がなければお母さんになれない人もいるの。

この世には自分には分からない悲しみや苦しみがいっぱいある。好きな人と一緒になれない気持ち、子供を授かることの出来ない人の気持ち、愛する人を失った気持ち・・・きっと私には理解出来ていないことだろう。でもね、分かろうとする気持ちは忘れたくない。あなたの苦しみは分かってあげられないけど、でも分かりたいよ。私のことも、まわりの人には分からないのだろう。でも・・・みんな分かろうとしてくれている、助けてくれる・・・とっても嬉しい。人と同じ立場には立てないけど、私もみんなのことを分かるようになりたいと思う。みんながお互いの気持ちを知る努力が出来れば、この世から争いなんてなくなるのにね。・・・なんか話しが脱線しちゃいましたね。(笑)

そう、何があっても後悔しないつもりだったけど・・・小さい身体で治療を受けている姿を見るのは辛かった。3方向から光線治療器を当てて、まるで日焼けサロン状態。(^^;目の保護のために目隠しははずせない、面会に行ってもそのまま。これ以上黄疸をひどくしないため母乳も禁止・・・。面会時間は1時間、ミルクをあげておむつかえてあとの50分ほどはずっとだっこ。お顔はみえないけど、くちもとだけ見てもお兄ちゃんお姉ちゃんにそっくり。(笑)「よく頑張っているね。いいこね。」ずっと小さい声で話し掛ける。どうしてだろう、あなたといるととても落ち着くの。この1時間のために残り23時間を生きている気がする。「また明日会いにくるからね。」お別れの時の赤ちゃんとの大事な大事な約束。

毎日毎日続く治療、暑さのため汗疹とおむつかぶれになってしまったね。(光線治療器3台だから当然)可哀想なんて言っていられない、早く良くなって!あなたに会えるのは嬉しいけど、面会の度に涙が出て困ってしまう。なんせNICU、物の持ち込みは御法度なのでこっそりティッシュ持っていくんだから。(^^;

私の退院が近付く頃、やっと光線治療器の数が減ってきた。あともう少し!でも、結局ひとりっきりの退院。仕事が忙しくて休めない主人の代わりに主人の両親と下の子が来てくれた。主人に来て欲しい気持ちはあったけど、赤ちゃんの退院の日に一緒に迎えに来たいから今日は我慢。ガラス越しではあったけど、みんなに赤ちゃんの顔を見てもらえた。でも、やっぱりおめめは隠したままだったけどね。(苦笑)赤ちゃんを置いて40キロ離れた自宅へ帰るのは寂しかった。でも、必ず面会に来るから待っていて!きっともうすぐ一緒におうちに帰れるよ。

お昼に退院したので、帰りにみんなで鰻屋さんに寄った。おじいちゃんお勧めの美味しい鰻屋さん。赤ちゃんを生んだら外食なんて出来ないんだからラッキー!そう思おうとしたけど・・・難しいね。とても美味しかったのに何故か寂しい食事でした。

退院翌日から面会に通うことを決めた私。主人と私の母はふたりとも止めたかったことでしょう。いくら経産婦と言っても昨日まで入院していた身ですもの。上の子たちもいるし、少しでも身体を休めるチャンスだし、そんなに心配しなくても赤ちゃんの退院も近いようだから。でも、私はそうは考えなかった。どうせ退院も近いんだから、少ない日数なら面会に通おう!(交通費を考えても通うのは大変なことでした)上ふたりの世話を母に頼み面会に通うことに・・・。

電車で片道1時間、本当は大変だったはずなんだけど駅にたつ私の心はうきうきしていた。だって、今日も赤ちゃんに会えるんだもん。母乳の許可が出たのもこのころだったかしら?初めて飲んでくれたお乳は30cc、毎日8回搾乳していっぱい出るようにしていたのに少ししか飲めなかったね。それでもとても嬉しかったよ。

生まれてから10日後、やっと赤ちゃんの退院。2人目を生んだ時からずっと待っていた3人目の赤ちゃんが私のところにきてくれた。あの日から4年目の春でした。
posted by おさかな at 00:00| Comment(0) | 血液型不適合妊娠 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください